人間社会の進化は光の速さで進む

1970年大阪で万国博覧会が開かれた。未来がテーマな万博で、最も目を引いたのが「月の石」アポロが持って帰って来たそれである。
初めて人類が月へ到達し、第一歩を踏み出した。

2018年秋、ZOZO TOWNの前澤社長がアーティストを連れて月旅行をすると発表したが、推定1000億円だそうだ。 剛力ちゃんはどうも連れて行ってもらえないらしい。
しかしながら、月への着陸ではなく周回してくるだけって有りなんか? 何しに行くん? 月の裏側にエイリアンの基地がないかどうか確かめに行くん? まぁ撃墜されんように・・・
それはさておき、この1970年の万博で同じく未来として提案されていたのがテレビ電話だった。 しかし今や携帯でテレビ電話ができる時代だ。
「母危篤すぐ帰れ」といっても帰って来る頃にはもう他界していただろう。
私の母が他界する時、母の妹に電話をかけた、で、耳元に置いてやった。 本当なら叔母もiPhoneならきっとリアルタイムで死に目に会えただろうが、それでも電話口で「頑張れー」と言われ、息が止まった、声かけられる、しばらくしてまた息をする、というのが2−3回続いた。 つまり科学の進歩がほんの2−3分だけど母を長生きさせた。 電話が携帯できたからこそのなせる技で、きっとその時には阿弥陀様が迎えに来てたけど、待ってくださったに違いないと信じる。

1970年の万博の時、子どもだった私は、こんなことができるんか? と疑っていたにも関わらず、今や普通にできているもの、テレビ電話! しかも無料通話まで実現している。 空想と思っていた時代に本気でできると信じて発明を重ね試行錯誤し現代のタブレット、スマホなどのガジェットが誕生している。 しかも毎年進化しながら。

それ進化に対するAppleやMicroSoftの貢献度は多大だと思う。 windowsも最初GUIを採用した時はAppleの模造だやらなんやら言われたが、守備範囲を変えて成長してきた。共に切磋琢磨し世界の2大潮流となった。

2018年また新しいMACがラインナップに加わった。 Macbook Pro である。 ストレージを4テラまで選択でき、全てをフルスペックにするとなんと70万を軽く超えるというもので、初のi9をCPUに搭載したモンスターマシーンだ。 そのはずだったが、どうも筐体のデザインが悪いのか、i9が熱暴走して、クロック周波数がデフォルトの数値さえも出ず安定しないとのこと。
せっかく楽しみにしていたのだがと諦めかけた時、アップルからアップデートがかかり、ファームウエアの不具合で熱コントロールがうまくいかずに熱暴走していたとのこと。これで最大70%のパフォーマンスが出せるとのことだったので購入を決定しました。いったいこの進化どこまで行くのだろう? 後30年後には物が転送できてるかも……と妄想を膨らませるのだった。

MacbookProの現物はまだ到着してませんが実に楽しみです!

#Macbook Pro #月旅行 #ZOZO

SSDはキカイダー

古めのWINDOWS7 第2期のi5はi7の廉価版という位置付けだった。それでも当時にしてはよく走るPCの代名詞だった。
SONYではVAIOが中をカスタマイズ注文しながら大手家電量販店でプロモーションしていたのだ。当時はまだ珍しいワンセグを搭載し、ブルーレイが書き込める機種まであり、バラエティーに富んだバリエーションがあった。
ご多聞に漏れず、自分もその一人だった。メモリーを8Gまで増設し、テレビや、仕事に使うDreamweaver や Photoshop illustratorなども割と動く方だった。何よりデジカメが爆発的に普及しだした頃だったので、当時ノートでは大きめの500GBのハード搭載モデルを購入した。
しかし、少し大きめの筐体(テンキー付きでワイド画面)ということもあり持ち歩くことはあまりなかった。持ち歩けるというだけで、持ち歩いてお客さんと打ち合わせに使えるほどのスピード感はなかった。
出張に行くとホテルに置いて客と打ち合わせしたものを部屋で展開するような作業を繰り返すだけだった。当時はそれでも十分威力を発揮したが、使っているうちにだんだんと遅くなってくるので、色々手を入れてみるが、ついに立ち上がりに10分近くかかるようになると立ち上げることもなくなってきた。「もう古くなったし、OSも今や10にアップ、捨てて買い換えるか?」と考えたが、結構な値段したという想いがあり、放置状態が続いた。(みなさんそうではないでしょうか?)

今年の八月に圧倒的なノートをAppleが発売した。そう MacBook Pro だ。最上位機種は70万越え・・・さすがにそこまでは買えないが、50万切れればなんとか投資の価値はある。と考え購入に踏み切るそのための準備として、まずはスペースの確保。いくらなんでもそれだけじゃちょっと物足りないので、4Kモニターなどを買い足す予定だ。そのための整理と、捨てられずに困っているパソコンをどうしたもんか? 「よし売ろう! ジャンクでもなんでもいいや! 」と決心したが、ちょっとでもお役に立てるのかと考えたがこの状態じゃどう考えても無理! 売れない! なので整備することにした。 まずは挙動がおかしかったメモリーを新しいものに交換した。 しかし立ち上がらないのは今に始まったことじゃない。 よし、いっそSSDに換装し、OSも10にアップして整備してから売ろう。どのくらいのパフォーマンスが出るかわからないがやってみた。

いやはや驚いた! なんじゃこのスピードは? 電源入れてから立ち上がりまで30秒ほど、ソフトもストレスなく立ち上がるし、レスポンスもいい。テレビや使えない機能ももちろんあるが、それはよしとしよう。 チェックした。え? i5ってこんなに早かったっけ? これなら今のドロー系や動画編集なども楽々いけるはず。 現代のパソコンのパフォーマンスに匹敵する。 ん? 画面が? フルハイビジョンになってるぞ? 10の影響かな? しかも綺麗に映ってるし。
まるで、壊れたキカイダー(って古いな)が敵にやられて心臓部分のパーツを換装しパワーアップしたみたいだ! 筐体以外の中のモニター部分も綺麗になっとるし!! スッゲー! ギターのジロー!

SSDも500GBまでなら手が出しやすい値段になってきたので、同じような思いをされておられる方は是非ご一考を! 新しく買うより安くていきなり生き返ります。 スイッチ オン! ワンツースリー!
 

ガンは希望、尊厳のある最後の時を。

 「あなたのお母さんは数値がかなり以上を示しているので緊急でMRIと心電図を撮ります。」
 10日ほど前微熱でお腹を少し壊していた母の、今日は2ヶ月に1回の定期検診の日に医師から突然そう言われた。
 血液検査の結果を見ると明らかに肝臓の数値がべらぼうに跳ね上がっている。
「ん? ガンマGTP俺より高いやん!」と医者に説明を求めると、「おそらくは胆管のあたりか肝臓が異常ですのですぐ検査します」と言い各所に連絡を回してくれた。

何枚か承諾書を書かされ、検査後30分ほどして、「先に説明しましょう」と担当医が駆け寄ってくる。「母はどこに行ったんでしょう?」「今心電図とってます、今のうちに」と診察室に促され今撮ったMRI画像を見せられる。 主に肝臓であろところを行ったり来たりしながら見せてくれている。 「何か悪かったんですか?」と説明を求めると「肝臓なんですが、この黒いところ……」黒い斑点のようなものが無数に見て取れる、「なんですか?」「多分ガンだと思います、しかも悪性の、一番大きいもので8cmほどあります。 腹水が溜まっている所見も見受けられます」と慎重に言葉を選んで説明してくれる。 もちろんその時に聞きたいのはどのくらい進行しているのかを聞きたいが、何度も問題の箇所を行き来して見せているということは、そういうことなんだと悟った。

「先生、ぶっちゃけ聞きます。あとどのくらい生きられますか?」「んー 残念ですが正月までは持たないかな、という感じです」(実際には進行具合が早く2ヶ月だった)
本人になんて説明するんだよと頭の中は回転している。おそらく僕が嘘を言っても一発で見抜くだろう。

「ひとまず入院していただき、源発がどこかを調べましょう」「それに、MRIでは鮮明に見えないので、明日CTを撮らせていただきます」
ひとまず、説明しないといけないので、母の元に近づくと看護師が3人ほどで説得している。 「検査で入院するだけだからね!」
母は涙ながらに「入院嫌だ! 帰る。 なんともないのに!」と訴えている。 こうなったらテコでも動かないので「かあさん、前に胆嚢とったところが炎症してるらしいから、ちゃんと調べてもらおう。 大ごとになる前にわかってよかったね」と精一杯明るく「このクソ暑い時だからクーラーの効いた、綺麗な病院で看護師さんたちも優しいからちょっとこの際ゆっくりさせてもらいなさいよ」と説得する。 「喉乾いてないか?」と話をそらせ、水をもらいに行く。 多分この瞬間母は「何かあったな」とすでに見切ってると思うが、方便がバレないことを祈るばかりである。

 自分自身をひとまず落ち着かせ、嘘っぽい笑顔で水を渡し、入院の説明を聞き、家に電話して入院セットを用意してもらう。
病室に通され本人は「なんともないのに」と訴えるが「何もなくても、この際やから隅々まで検査してもらおう。 最近ご飯も喉を通ってないし、水分不足で熱中症っぽくなってるし、ちょうどよかったやん」とあくまでポジティブを装うが、僕の心中穏やかではない。 これ以上いるとボロを出すので、「荷物まとめて取ってくるわ」と一度その場を離れることにした。

僕の妹や叔母など何箇所かにそのことを伝え、ひとまず家に帰り、一通り入院の用意して、トンボ帰りする頃には少し気持ちを整理した。
「とりあえず明日、CTやらなんやらするらしいから、夕方またくるわね」と言ってその日は一旦帰った。

 実は自分にもガンの経験があるが、自分の時は意外とあっさり受け入れたが、母親の宣告を、何も思ってない時に聞くとは予想していなかった。 帰ってから、ボディブローのように効いてきやがる。 家長として家族に涙を悟られないよう風呂に入りシャワーに流した。

 次の日夕方4時、医師と結果の報告を聞く。 現場の看護師、緩和ケアの担当看護師など狭い部屋に5人で医師の報告を黙って聞く。 
「肝臓、大腸の最深部にガンの所見がみられます。明日大腸の方に内視鏡を入れて見てみますね。 このままだと腸閉塞を起こして大変になるので……。」

「先生それ何か対処できるんですか? 腸だけ切るとか? いくら何でもご飯が食べられなくて死ぬのは辛いだろうから、最後まで尊厳のあるように食べられるようになりませんか?」と詰め寄る。 医師からすれば、手術をして回復を待つ間に、他が進行することを予測しているのだろう。 しかし食べられないのは辛いだろう。 そう思うのは若い頃貧乏で、僕たち兄妹をを育てるのに、食うや食わずの生活をしていて、死ぬ前ぐらいきちんと食べさせてあげたいからだ。 きっとそれで死んだ方が本人も本望だろう。

本人は痛くもかゆくもないらしい、まだ元気である。 今親孝行しなくてはいけない。 しかし結局何もできないことはわかっているので、せめて可能な限り寄り添おうと思う。
 何も死ぬために生きるわけではない。
 何も希望がないわけではない、人は誰もがいつか死ぬ。 逆に濃縮した希望を持とう、きっと小さな奇跡は起きるはず。
 可能なら奈良にいる僕の妹にも合わせてやりたい。
 まだ半年もあるじゃないか。
 母が大病になったことで温かい気持ちになり、初心に返れたことに感謝しよう。 最後までやれることを全力で!

人生の最高の感動のフィナーレはまだはじまったばかりだよ、母さん。
(おわり)

追記:母は平成最後の九月七日安らかに永眠した。 結局最後まで僕は嘘をつき通した。 「治るよ頑張ろう!」って。 永遠の嘘になってしまいましたが、ただ、母は全て分かっていたと思う。
 ちょっと照れくさかったが、意識のあるうちに「母さんありがとう、愛しているよ」って伝えられたことだけはよかった。 病床から抱きしめてくれた時はやはり「母なんだ」と今更ながらに実感した。
同じ境遇にある方は是非伝えてください。 愛している方に「愛している」と。
 母さん今まで本当にありがとう、永遠に愛してますよ。